ついにケムトレイルの正体をつかんだ(アメリカ政府の極秘計画)。

アメリカのローカルテレビ局KSLAがケムトレイルについて報道した映像です。(アメリカ政府の極秘計画)


アメリカの極秘人体実験の歴史  元記事ーー

1900年 合衆国のある医師が、フィリピンで多数の囚人に対して、ペストを伝染させる研究を行った。彼は、他の29名の囚人に脚気を誘発させることによって、研究を継続した。実験は、2つの致死率を周知するという結果に終わった。

1915年 ミシシッピー州の医師が、ペラグラ病の治療法発見のため、12人のミシシッピーの白人入院患者に感染させることを企てた。

1931年 コルネリウス・ローズ博士は、ロックフェラー研究所の医学調査部門の後援のもと、被験者にガン細胞を移植した。彼は後に、ユタ州メリーランド及びパナマに、合衆国原子力委員会と命名される、陸軍の細菌戦用の施設を創立した。その間、彼は一連の被爆実験を米兵及び民間医療機関の入院患者に対して行った。

1932年 タスキギー梅毒調査が開始された。梅毒であると診断された200人の黒人が、彼らの病状について何ら説明される事無く、治療する事を認められず、その代わりに、病気の進行と症状を理解する目的のために、人間の実験台として使われた。彼らの全員が梅毒によって次々と死亡した。彼らが治癒できたかもしれない事について、家族に語られることは無かった。

1935年 ペラグラ事件。20年間に数百万の個体がペラグラ病で死亡したのを受けて、公衆衛生局はようやく病気の封じ込めに乗り出した。同局の局長は、ペラグラ病はナイアシンの欠乏により引き起こされる事が、少なくとも20年前から知られていたが、その死の殆どが、極貧の黒人社会に起きていたため、対応し損なっていた事を認めた。

1940年代 合衆国政府は、冷戦時代の放射線実験の一部であることを知らせることなく、12人の実験台にウラン及びプルトニウムを注射した。1940年代の12人の犠牲者のうち、11人はプルトニウム、そして1人はウランを、人体が原子爆弾に対してどのような反応を示すのか理解するために、注射された。テストは、核兵器開発の試みに起因していた。その時、学者達は人々は末期症状となり、恐らく10年も生きられないと主張した。しかし、彼らの幾人かは長期に渡って生存し、プルトニウムは尿路感染及び痛みの伴う骨粗鬆症、或いは骨が痩せる原因となると報告された。

1940年代 バンダービルト大学で殊の外大規模な研究が1940年代に行われ、大凡820名の貧民、カフカス人の妊婦が放射性の鉄の追跡薬を投与された。バンダービルトは、テネシー州の保健省と共同で作業を行い、調査の一部には公衆衛生局の資金拠出があった。現在、殆どの女性が妊娠中に鉄分の補助食品を摂っている。この実験は、妊娠中に必要な鉄分に関する、測定が必要であった科学的データを提供した。

1940年 病気に対抗する新型の試薬の効果を検証する目的で、シカゴの400名の囚人がマラリアに感染させられた。後に、ナチスの医師団は、ニュルンベルク裁判でこのアメリカの研究を、彼らのホロコーストの間の行動を弁護するため、引き合いに出した。

1942年 化学兵器部局は、4,000人の軍人に対してマスタードガスの実験を始めた。実験は、1945年まで継続され、現役軍人としてではなく、むしろ人体実験台となる事を選択する、セブンスデーアドベンティスト(安息日再臨教団)を利用した。

1943年 日本の全面的な細菌戦計画に呼応して、合衆国は、生物兵器の研究を、メリーランド州のフォートデトリック生物兵器研究所で開始した。

1944年 合衆国海軍は、人間を使ってのガスマスク及び防毒服の実験を行った。個々の被験者は、ガス室に閉じこめられ、マスタードガス及びルイサイトに曝された。

1945年 プロジェクト・ペーパークリップが開始された。合衆国国務省、軍情報部、中央情報局は、ナチスの科学者を募り、彼らに免罪と、合衆国における政府の最高機密計画に従事する見返りに、身元を伏せておく事を申し出た。

1945年 マンハッタン・プロジェクト計画Fが、合衆国原子力委員会(AEC)により実施された。これは合衆国における、原子爆弾製造において主要な化学成分である、フッ化物が健康に与える影響についての、最も広範囲に渡る研究であった。発見されたフッ化物は、人体に最も有害な化学物質の一つとして知られており、中枢神経系に悪影響を残す原因となるが、訴訟が完全な原子爆弾の製造を台無しにしてしまう恐れから、情報の殆どが国家安全保障の名の下に握りつぶされた。

1946年 退役軍人病院の患者が、医学的実験の実験台として使われた。疑念を和らげるため、命令は研究のための試み、或いは観察など、言葉を変えて下された。いつであろうとも、医学的研究実施の報告は、国の退役軍人病院で行われている。

1947年 合衆国原子力委員会のE.E.カークパトリック大佐は、当局が、被験者に対して、放射性物質投与のため、静脈注射を実施する事を指し示す秘密文書(1947年1月8日付 文書第07075001号)を公表した。

1947年 中央情報局は、アメリカの諜報機関が使用する潜在的兵器として、LSDに関する独自の研究を開始した。被験者(市民及び軍人両方の)は、実験に関する知識の有無に関わらず使用された。

1950年 国防総省は、砂漠地帯において核兵器を爆発させ、風下に住む住民の医学上の問題と死亡率を観察するための計画を始めた。

1950年 合衆国海軍が、無数のバクテリアを艦船からサンフランシスコ上空に噴霧し、アメリカの都市が細菌攻撃に対して、どの程度影響されるのかを観測する実験が決定された。感染の程度を検査せんがために、都市全域に観測機器が設置された。多くの住民が肺炎に似た症状で体調を崩した。

1951年 国防総省は、疾病を生成するバクテリア及びウィルスを使用した屋外実験を開始した。実験は、1969年まで続けられ、周辺の人々がそれに曝され続けて来た事が、懸念されている。

1953年 合衆国陸軍は、亜鉛、硫化カドミウムの雲を、ウィニペグ、セントルイス、ミネアポリス、フォートウェーン、メリーランド州モノカシーリバーバレー、そしてバージニア州リーズバーグ上空に解き放った。彼らの意図は、化学物質をどうのように効率的に分散させるのかを、測定する事にあった。

1953年 ニューヨーク及びサンフランシスコの何万人という人々が、空気伝染するセラチア菌、及びバシラス菌にさらされる結果になる、陸海軍及びCIAの共同実験が、実施された。

1953年 36もの一連の醜悪な実験が、カナダ、ウィニペグの市民に実施された。我々の政府は、実験が無害である事を請け負い、また防衛上必須だとして、ウィニペグの知事を騙した。これらCIAが計画した実験の実際の目的は、どれだけ多くの割合の住民に、化学物質が誘発するガンを引き起こさせる事ができるのかを、調査するためであった。

1953年 CIAは、プロジェクト・MK-ウルトラを開始した。これは、マインド・コントロールや行動修正のために使用される、薬品及び生物兵器の開発、実験のために設計された、11年間に及ぶ研究プログラムである。無意識の人々に対する実験に、6つの下位プロジェクトが関わっている。

1955年 CIAは、陸軍の生物兵器貯蔵庫から回収されたバクテリアを、フロリダ州タンパベイ上空に放出し、生物兵器が人口母集団に感染する能力を、考査するための実験を行った。

1955年 陸軍化学部隊は、LSDの研究を継続し、化学薬品に耐えられなくさせる物質として使用するための潜在性を調査していた。実験は1958年まで継続され、1,000人以上のアメリカ人がそれに組み入れられた。

1956年 合衆国陸軍は、ジョージア州サバナ、及びフロリダ州エイボンパークに、黄熱病に感染した蚊を放った。何れの場合も、陸軍の調査官は、環境衛生局の職員が、被災者の影響について、検査しているように見せかけた。

1958年 陸軍の化学兵器研究所で、LSDの持つ効果について情報収集するため、95人のボランティアにLSDが試された。
1960年代 政府は極秘のプロジェクト・シャッドを上手く覆い隠していた。プロジェクト・シャッドの秘密実験は、どのようにして海軍の戦闘機が、轟音を立て夜中に遠く離れた太平洋の環礁に飛来し、160Kmもの長さの煙霧質の雲を5隻のタグボートの上空に散布するのかを示した。その後、船の乗員達は病気にかかり始めた。

1960年 陸軍情報部主任幕僚が、ヨーロッパ、及び極東におけるLSDの屋外試験を認めた。ヨーロッパの住民に行われた実験の作戦名は、プロジェクト・サード・チャンスで、アジアの住民に行われた実験の作戦名は、プロジェクト・ダービ・ハットであった。

1965年 CIAと国防総省は、精神を様変わりさせる薬品の使用を通して、人の行動を操る能力を開発するための計画である、プロジェクト・MKサーチを開始した。

1965年 フィラデルフィアのホルムズバーグ州刑務所の囚人達は、ヴェトナム戦争で使用された、枯れ葉剤の猛毒の化学成分である、ダイオキシンにさらされた。後に囚人達は、終始、発ガン物質であると疑われている事を暗示する、枯れ葉剤のガン発症の実験材料にされた。

1966年 CIAは、人間及び動物に対する、特定の薬品における毒性の影響を考査するための計画、プロジェクト・MKオーフンを開始した。

1966年 合衆国陸軍は、バシラス(バチルス)属の細菌【原文 Bacillus subtilis variant niger ですが、別名Bacillus globigiiとも呼ばれており、日本語のサイトでは、バシラス(バチルス)属の細菌との記述が多く見られたのでそうしました。バシラス菌の変異体というような感じなのではないかと思います。】を、ニューヨークの地下鉄にばらまいた。軍の科学者が、通風口の鉄格子の上に、バクテリアが充満した電球を落下させ、100万以上の市民が菌に曝された。

1967年 CIA及び国防総省は、MK・ウルトラの後継であり、整備、備蓄、生物化学兵器をテストするため設計された、プロジェクト・MKナオミを実施した。

1968年 CIAは、ワシントン市の食品医薬品局の上水道に薬品を注入することにより、飲料水への毒物混入の可能性を検証した。

1969年 1969年6月9日、後に国防総省技術開発部次長となったD.M.マッカーター博士は、下院の歳出分科委員会に姿を現し、人の自然免疫では未だ獲得されていない、総合的な生物兵器を開発するための、プロジェクトへの資金拠出を要求した。マッカーター博士は、今後5年から10年に渡る、この生物兵器の開発に1,000万ドルを求めた。この細菌兵器の開発計画によると、新型疾病の最も重要な特徴は、「我々が、伝染病の感染から逃れるために依存している、免疫及び治療過程における、難治性『耐久性』のはずである。」と、連邦議会議事録は明らかにする。AIDSが公衆衛生への危険分子として最初に登場したのは、この10年後の事である。

1960年~1970年 1960年から1970年に渡り、103もの実験が予定されていたが、これまでのところ、ペンタゴンが確認したのは、わずか12であった。実験のうち3つには、神経ガス、1つには生物因子、そしてもう1つには興奮剤が使用された。これらは当時、人体に無害であると考えられていたが後に、有害である事が発見された。

1970年 総合的な生物兵器への資金は、法案H.R. 15090により調達された。CIA監視下のプロジェクトは、陸軍の最高機密に属する生物兵器研究施設である、フォート・デトリックの特殊作戦部門により、実行された。分子生物学の技術が、AIDSのようなレトロウィルスを生成するのに使われたのではないかとの、推論が引き起こされる。

1970年 合衆国は、目標を選択的に、そして遺伝的差異及びDNAの多様性が引き起こす、疾病等の影響を受けやすい、特定の民族を排除するために設計された、対特定人種兵器の開発体制を増強した(1970年11月、ミリタリー・レビュー)。

1975年 フォート・デトリックの細菌戦研究センターのウィルス部門は、フレドリック癌研究施設と改名し、国立癌研究所(NCI)の管轄下となった。噂によれば、癌を引き起こすウィルス開発のための、特殊癌ウィルス計画が合衆国海軍により開始されたのが、ここであるとの事だ。同様に、レトロウィルス学者達が、免疫が存在していない、ウィルスを隔離しているのもここである。それは後に、HTLV(成人T細胞性白血病)と名付けられた【原文 HTLV=Human T-cell Leukemia Virus=成人T細胞性白血病としたわけですが、どうやらHTLV-1が引き起こすのが、成人T細胞性白血病で、そのHTLV-1はヒトTリンパ球向性ウイルス型となるようです。HIVとAIDSのような関係なのでしょうか...】。

1975年、1977年及び1994年の議会の公聴会で、我らが高名な国亡総省【原文 Department of Death はDepartment of Defenceとかけているのではないかと。略号はどちらもDODですし...】が、第二次大戦以来、哀れな人体実験台として、アメリカ国民を使用した、吐き気を催すような内容が確認された。ラトガーズ大学のレオナード・コール教授は、合衆国軍部の記録から、アメリカ及びカナダ国民に対して、密かに実験された生物化学兵器の、恐るべき一覧を収集している。

1977年 保険及び科学調査における上院公聴会は、1949年から1969年の間に、239もの居住地域が生物兵器に汚染されていることを確認した。それら地域には、サンフランシスコ、ワシントン市、キーウェスト、パナマシティー、ミネアポリス、セントルイスが含まれている。

1978年 疾病管理予防センターにより実施された、B型肝炎ワクチン試薬の試用は、ニューヨーク、ロサンジェルス、そしてサンフランシスコから始まった。調査対象への広告は、明らかにふしだらな男性同性愛者を求めていた。

1981年 AIDSは、B型肝炎ワクチンによってもたらされたのではないかとの憶測の引き金となる、ニューヨーク、ロサンジェルス、そしてサンフランシスコの男性同性愛者に、初のAIDSの症例が確認された。

1985年 サイエンス誌(第227号173ページから177ページ)によると、致命的な羊のウィルスである、HTLV及びVISNAは、分類学的、進化的関係においても近いことを指し示しており、非常に似通っている。

1986年 全米科学アカデミー会報(第83号4007ページから4011ページ)によると、ほぼHTLVと一致する細かい断片を除けば、HIVとVISNAは高い類似性を有し、全ての構成要素を共有しているとの事だ。これは、HTLV及びVISNAが、自然免疫が存在しない、新たなレトロウィルスの生成に、関連しているのかもしれないとの推論を導く。

1986年 議会報告が、加工ウィルス、自然発生毒素、そして免疫学的属性を変更し、現存する全てのワクチンによる治療を妨げるために、遺伝子操作で改変された物質を含む、合衆国政府の生物兵器の現世代を明らかにする。

1987年 国防総省は、生物兵器調査開発の停止条約にもかかわらず、国内の127の研究施設及び大学で、研究が継続されていた事を認めた。

1990年 ロサンジェルスに住む、1,500人以上の生後6ヶ月の黒人及びヒスパニック系の乳児に、合衆国内では使用が認可されていない、麻疹のワクチンが接種された。後に疾病予防管理センターは、子供達へのワクチンの接種が実験的なものである事を、両親達に全く知らされていなかった事を認めた。

1994年 遺伝子探知と呼ばれる技術で、テキサス州ヒューストンのMDアンダーソン癌センターのガース・ニコルソン博士は、通常、細菌兵器の製造物に使用されている、マイコプラズマ酵素の変種に罹病している、多くの湾岸戦争の帰還兵に発見した。その分子構造の合成体は、40パーセントがHIV酵素皮膜であり、この事はそれが人の手によるものである事を示している。

1994年 合衆国軍の航空機が、ゲル状の物質を太平洋沿岸の小さな町である、オークビルに投下し始めた。町の住人全てが、インフルエンザ又は肺炎の様な症状で寝込んでしまった。幾人かは入院し、病状は数ヶ月も継続した。ペットや庭の動物達も死んだ。ゲルの材質は、実験的な細菌戦用バクテリアとして、160を超える軍の研究論文で引き合いに出されている、蛍光菌の修正版を含む、人の血液細胞や厄介なバクテリアを発見した、多くの公的及び私的研究機関により検証された。

1994年 コール博士は、軍が新型の遺伝子組み換え病原体を展開する事を、彼が恐れている事を上院委員会の前で証言した。彼は、我々の政府が、そのように凶悪な病原体についての研究を、細菌戦における伝染性の癌を生成する目的で、特殊癌ウィルス計画が1960年代から始められている事を、その後知る由もなかった。

1994年 ジョン・D・ロックフェラー上院議員は、少なくとも50年に渡って、国防総省は数十万の兵士を人体実験に使用し、危険物質を計画的な照射した事を明らかにする文書を公表した。物質には、マスタードガス及び神経ガス、電離放射線、精神に影響を与える化学薬品、幻覚剤、そして湾岸戦争中に使用された薬物が含まれている。

1996年までに、レオナード・ホロウィッツ博士は、AIDS及びマールブルグ-エボラ複合体は共に、アメリカの細菌戦研究機関が考案した、人の手による怪物であることを、彼の著作である「出現ウィルス」で確認した。

1995年 合衆国政府は、人体医学実験を執り行った、日本の戦争犯罪人及び科学者達に、細菌戦研究に関するデータと交換に、俸給と告訴の免除を申し出た事を認めた。

1995年 ガース・ニコルソン博士は、湾岸戦争中に使用された細菌兵器が、テキサス州ヒューストン及びフロリダ州ボーカラートンで製造され、テキサスの矯正施設の囚人達に実験されている証拠を暴露した。

1996年 国防総省は、湾岸戦争の兵士達は、化学兵器に曝されていた事を認めた。

1997年 88人の議員が、湾岸戦争症候群における、生物兵器使用の解明を要求する書簡に署名した。

1997年 医学系新聞記者のエルミナ・カッサーニは、ユタ州には29種の生物兵器関連の降下物があると報告した。生物化学事故に対応する、HAZMATのチームが、塩素で排出物を浄化した。1997年の政府の委員会での証明によると、ユタ州は、数百名もの元作業員が湾岸戦争症候群の様な病気にかかった化学生物実験の中心である、悪名高いダグウェイ・プロービング・グラウンド駐屯部隊の拠点である。

1999年 エルミナ・カッサーニは、生物兵器の廃棄物が、低空飛行する航空機から、近隣に空中投下されている模様の全国的な報告を調査した。カッサーニは、1998年から1999年の間の、30を超える異なった降下物を調査した。1998年、彼女は乾血のように見えるサンプルをミシガンの家から採取した。この物質を検査した、ミシガン大学の研究室は、オークビルで使用された菌と同じ、シュードモナス・フルオレセンスを発見した。それは、軍の経路追跡を考慮して、発熱する属性を持つ故の、致命的な衝撃を含む、人へのひどい伝染を引き起こす。

1999年 放射線被曝実験における、クリントン大統領の委員会のジョナサン・モレノは、数十年の残忍な軍情報部の、非告知或いは非同意の市民に対する実験は、過度の危険を伴うと彼の著作で同様に確認した。

2001年 ジョイス・ライリー中尉は、昨年、軍が屋外での細菌実験を実施することを決定したルイジアナで、人々の怒声に逆らって、政府高官の一団の前に立ちはだかった。彼女は、これまでにアメリカ国土において行われたテロ行為は唯一、我々自身の政府によってしでかされたと、はっきりと彼らに話した。さらなる真実の言葉は、決して話されることはない。

(訳=ぱん 「ChemBlog-ケムログ」ブログより ※文中【 】内の注釈は訳者による)

原文:
A History of Secret Human Experimentation
http://www.skyhighway.com/~chemtrails911/docs/human_experiments.html

関連リンク:
http://www.rense.com/general36/history.htm
http://www.researchprotection.org/history/chronology.html

『ケムトレイル気象操作掲示板』 http://hidemaro36.bbs.fc2.com/

日本でも、怪しい飛行機が毎日飛んで撒きまくっていますよ。
最近では、2月9日は関西でも(航空ショーの様に)大散布でした。のどがイガイガしたり、クスリのような苦味や酸味を感じます。いったい何が混じっているのか。バリウムだけではないでしょうね。

名古屋でも、怪しい飛行機が週4回定期的に東から西へ飛んで撒きまくっていますよ。見てる人は見てるのだ。いつまでも敗戦を引きずる愚民の国ではないのだぞ。

飄(つむじ風)さんのサイトでも、いっぱい紹介されていますよ。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/02/post_5de7.html
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